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最近、人工知能についての記事を見かけます。2013年にレイ・カーツワイルの「シンギュラリティは近い」という本が話題になったり、IBMのWatsonなど人工知能が活躍している影響なのでしょう。Siriしかり何かと人工知能が話題になっています。
話題にしている人の多くは、「人工知能が人類を越える!スゴイ。」という反応と、「人工知能が人類を越えることはない。バカバカしい」という内容が多いと感じます。
私も気になって、人工知能に関する本を4つぐらい読みました。特にレイ・カーツワイルの「シンギュラリティのは近い」は、ものすごく長いです。読んでも読んでも、終わりません。
夜眠れなくて困っている人は、是非「シンギュラリティのは近い」を購入して読んで見てください。本当によく眠れます。効果は保証します。
内容は、コンピューターの性能が指数関数的(要は倍々に増える)に伸びることにより、人間以上の知能を獲得し、人類の技術的特異点(シンギュラリティ)を越え、人類が生物的限界を越えてさらに加速的に進化するって話です。
その理由たる推測を驚くほど豊富な知識で、いろいろな角度から説明があります。300ページぐらい「××から考えても指数関数的な増加が見られるので、シンギュラリティを迎えるでしょう」という話です。
そのため前後の話を忘れても、趣旨は同じなので、寝る前にすぐに読み始めることができます。繰り返しの内容ですが、話題が豊富で事例がおもしろいため楽しく読むことができます。かつ30分も読むと猛烈に眠くなります。この絶妙な加減が最高の魅力です。
人工知能の知的な処理については、弱い人工知能と強い人工知能という考え方がありまして、現在、存在している人工知能は、すべて弱い人工知能です。IBMのWatsonもSiriも弱い人工知能です。プログラムされた範囲でしか処理ができません。
強い人工知能とは、例えば「ドラえもん」のような自発的な意識をもった知能です。
人工知能が人類を越えるというのは、強い人工知能が登場することで、人間のような自由な意志と、コンピューターの優れた計算力により、人工知能が人類を超越するという考えになります。
人工知能が人類を超えないと主張している人の多くは、弱い人工知能について、それらがいくら発展しても、人類を超えることは無いと言ってます。あたり前のことをあたり前に指摘しています。
例えばロケットで、一光年(光が一年かかる距離)離れた惑星まで日帰りの宇宙旅行ができるかどうか?と考えるので同じで、現在のロケット技術がいくら発達してもそれは不可能です。実現不可能です。
でも将来ワープができることが前提の話であれば可能かもしれません。そのため日帰りの宇宙旅行ができるかどうかを、幅広く検討するならば、将来ワープができるようになるのか、を考える必要があります。
同じように、人工知能が人類を越えるのか越えないのかを、考えるなら強い人工知能ができるのかどうかを考える必要があるはずです。
なるとすれば、犬とまったく同じ知識の働きをもつコンピュータを作れれば、それは強い知能になるのか。それとも人間並みの知能がないと、強い知能にならないのか。人間と犬の知能の差は何か。
そういった話になりますが、考えるにあたって生物の知識=強い知識とします。生物の定義は、代謝をすることです。ウィルスは代謝を停止できるので、半生物と定義します。ミジンコは生物です。
生物の知能をさらに、詳しく定義してみたいと思います。生物の脳は最初から閉じています。耳や目などを通して神経から脳は情報を得ますが、その処理方法は誰が作ってくれたものではなく、自ら獲得した処理能力です。(ミジンコなどは神経節しかないかもしれませんが)
例えば赤ちゃんは、最初は何も知識がありません。神経の刺激を脳が受け、外部からの情報にパターンを見つけ、意味付けを行い学習し、状況を判断し処理するための知能を獲得してゆきます。これを「認知的な閉じ」といいます。
コンピューターでもこの「認知的な閉じ」を実現できれば、強い人工知能ができると考えます。誰かの設定やプログラムを必要とせず、自ら認知することで、知能に関するすべてを取得できる機能です。
それは製造したばかりのコンピューターに、カメラやマイクなどや、ネットに接続するだけで、情報を自ら分析して処理方法を構築できるコンピューターです。
人間による前処理も、プログラミング等の不要です。でも正しい知識を身につけるには、教師が必要になるかもしれません。
つまり強い人工知能を作るには、人間の脳と同じものを作れれば、良いという考え方です。人類の叡智を超える人工知能は、人工的に脳を作れるかどうかという、そのまんまの話でもあります。
それができなければ、強い人工知能は作れない訳ですから、それについて考えてみるのが有効なのだと思います。
スキャンする技術が発展して、細胞や神経のひとつひとつまで動きを解明でき、脳の機能がわかっても、人工的な脳を構築できるのか疑問です。情報や仕組みがわかっても、それを構築できるかというのは、別問題だと考えています。
例えば、暗号がかかった通信を傍受して、暗号のすべての情報がわかっても、元の通信の情報を再現するのが難しいように、生成されたものをいくら解析してわかっても、それを構築できるかどうかは、別問題です。
例えば生物です。分子や原子それよりも細かい情報も分かり、生物のDNAも解読されています。また微生物も含めたら地球のいたるところに生命は存在しています。どこにでも生まれています。
でも未だに、生命をゼロから作ることは成功していません。フランケンシュタインの小説が1831年です。人工の生命が作れる気がしてから、200年近く立ちますが、まだ実現していない訳です。コンピューターの概念も同じように200年近く立ってはいますが。
一歩一歩の積み重ねで発展している部分も多そうで、指数関数的な増加をしていない分野も、人工知能を実現するには含まれているはずです。
そうと考えると「シンギュラリティは近い」のように、さらりと脳をスキャンできるようになり、さくっと人工知能ができるとは、思えません。
でも実現できないのか?というと、いつかはできると思います。例えば、ウィルスっぽいものや、細胞膜っぽいものは、ちょっとづつ作れそうになっています。コンピューターも弱い人工知能ですが、ディープラーニング等でめざましい進歩を遂げています。
コンピューターの処理性能の向上に合わせて、弱い人工知能の発展は飛躍的に進化しそうです。チューリングテストをクリアするような、人間にそっくりなふりをする弱い人工知能は、比較的に早い時期に登場するかもしれません。
もうちょっと補足を加えて同じように考えてみます。
まず生物を一つの言葉で定義するならば「代謝をすること」です。自己複製できるとか、DNAがあるなど、いろいろな要素がありますが、一つだけで定義するなら「代謝をすること」がもっとも的確です。説明は省略します。詳しくはこちらの本がおすすめです。
次に知能も一つの言葉で定義したいと思います。かなり多くの定義が存在しますが「認知的な閉じ」が知能の特徴を最大に表していると感じます。
説明は省略しますが「認知的な閉じ」とは、例えば生物の脳は、感覚器を通して情報を受け取り、誰にも教わらずにその処理を創り出し、対応してゆきます。詳しくはこちらの本がおすすめです。
生物の知能とは「認知的な閉じを持つ代謝するもの」であると言えます。以上から人工の知能とは「認知的な閉じを持つ代謝をしないもの」であると定義します。
「認知的な閉じ」を持たないものは、ずばり現状のコンピューターです。プログラミングをした状況にしか対応できません。ディープラーニング(機会学習)といっても、プログラミングから逸脱したことには対応できません。
現在地球上に存在する人工知能は、すべて弱い人工知能です。「認知的な閉じ」を持たず、何か処理をするには、ディープラーニングといっても、相応の外部からの処理を定める指示を必要としています。
「認知的な閉じ」を持つ人工知能は、強い人工知能と言われています。人間のように自分で処理方法を考え見つけ出し対応することができるコンピューターです。
どうしたら強い人工知能が作れるのか。200年前の、チャールズ・バベッジ(1791年生まれ)の時代から、ずっと考えられています。現在まで誰も答えを見つけられていません。
人工知能がどうしたら作れるのか、アラン・チューリング(1912年生まれ)の考えと、レイ・カーツワイル(1948年生まれ)の考えも、ほとんど同じです。高度に発展した技術で人間の脳を真似ればきっとできると思う。という内容です。50年たっても同じです。
知能の露呈については、アラン・チューリングのタマネギの皮と核融合の考えが好きです。
人間の知能(脳)を細かく見て行けば、どれもコンピューターで実現可能な機能に見えます。そして実際に細かくした人間の知能は、コンピューターで実現できています。
人間の知能は、タマネギの皮と同じで、どこかに知能の中核となる実があると信じていますが、すべて調べ尽くしてもタマネギと同じように皮しかなく。それらが集まって実のように見えているだけ、という考えです。
もうひとつは、核融合と同じとする考え方です。一定のエネルギーを超えて初めて核融合がおきます。臨界です。物理的・化学的な変化を起こした物質が、ある状態から別の状態へと移っていく境目のことです。
人間の知能も、一定の臨界による知能の発露が起きていると考えることができます。ミジンコには知能といえる物がほとんどありませんが、人間には知能がある。そこ境目はどこなのか。
ある一定の機能や処理能力を超えると、原子炉が臨界を迎え核融合を起こすように、知能も生まれるのでは、という考えです。
つまり知能という機能は存在するが、確実な一つの実体や要素がある訳ではなく、様々な要素が集まり知能として機能するという考えです。
そう考えれば、この200年間で、強い人工知能を作る方法が、まったく見つからないのではなく、タマネギの皮のように、一つ一つの機能が解明され、知能の臨界にコンピューターの処理性能が近づきつつある、と見ることができます。
レイ・カーツワイルが言うように、このままコンピューターの性能の向上と、脳のスキャン技術が発達すれば、強い人工知能が登場するであろうと考えてみても良いと思いました。
ただ人工知能を完成するにあたって、指数関数的には増加していない必要な技術というのが、どこかネックになるのではないでしょうか。
話題にしている人の多くは、「人工知能が人類を越える!スゴイ。」という反応と、「人工知能が人類を越えることはない。バカバカしい」という内容が多いと感じます。
私も気になって、人工知能に関する本を4つぐらい読みました。特にレイ・カーツワイルの「シンギュラリティのは近い」は、ものすごく長いです。読んでも読んでも、終わりません。
夜眠れなくて困っている人は、是非「シンギュラリティのは近い」を購入して読んで見てください。本当によく眠れます。効果は保証します。
内容は、コンピューターの性能が指数関数的(要は倍々に増える)に伸びることにより、人間以上の知能を獲得し、人類の技術的特異点(シンギュラリティ)を越え、人類が生物的限界を越えてさらに加速的に進化するって話です。
その理由たる推測を驚くほど豊富な知識で、いろいろな角度から説明があります。300ページぐらい「××から考えても指数関数的な増加が見られるので、シンギュラリティを迎えるでしょう」という話です。
そのため前後の話を忘れても、趣旨は同じなので、寝る前にすぐに読み始めることができます。繰り返しの内容ですが、話題が豊富で事例がおもしろいため楽しく読むことができます。かつ30分も読むと猛烈に眠くなります。この絶妙な加減が最高の魅力です。
人工知能が人類を越えるのか、越えないのか。
コンピューターの処理性能は今後も飛躍的に伸びてゆくでしょう。それを疑っている人は少ないと思います。ゆえに人工知能が実現するかどうかは、人工知能の知的な処理について、論議されている感じています。人工知能の知的な処理については、弱い人工知能と強い人工知能という考え方がありまして、現在、存在している人工知能は、すべて弱い人工知能です。IBMのWatsonもSiriも弱い人工知能です。プログラムされた範囲でしか処理ができません。
強い人工知能とは、例えば「ドラえもん」のような自発的な意識をもった知能です。
人工知能が人類を越えるというのは、強い人工知能が登場することで、人間のような自由な意志と、コンピューターの優れた計算力により、人工知能が人類を超越するという考えになります。
人工知能が人類を超えないと主張している人の多くは、弱い人工知能について、それらがいくら発展しても、人類を超えることは無いと言ってます。あたり前のことをあたり前に指摘しています。
例えばロケットで、一光年(光が一年かかる距離)離れた惑星まで日帰りの宇宙旅行ができるかどうか?と考えるので同じで、現在のロケット技術がいくら発達してもそれは不可能です。実現不可能です。
でも将来ワープができることが前提の話であれば可能かもしれません。そのため日帰りの宇宙旅行ができるかどうかを、幅広く検討するならば、将来ワープができるようになるのか、を考える必要があります。
同じように、人工知能が人類を越えるのか越えないのかを、考えるなら強い人工知能ができるのかどうかを考える必要があるはずです。
強い人工知能ってなんだろう。
知能という定義も、強い弱いという定義もさまざまです。考えてゆくと人間の知能は何だろうという話になります。人間の知能が強い知能とすれば、犬の知能もミジンコの知能も強い知能になるのか。なるとすれば、犬とまったく同じ知識の働きをもつコンピュータを作れれば、それは強い知能になるのか。それとも人間並みの知能がないと、強い知能にならないのか。人間と犬の知能の差は何か。
そういった話になりますが、考えるにあたって生物の知識=強い知識とします。生物の定義は、代謝をすることです。ウィルスは代謝を停止できるので、半生物と定義します。ミジンコは生物です。
生物の知能をさらに、詳しく定義してみたいと思います。生物の脳は最初から閉じています。耳や目などを通して神経から脳は情報を得ますが、その処理方法は誰が作ってくれたものではなく、自ら獲得した処理能力です。(ミジンコなどは神経節しかないかもしれませんが)
例えば赤ちゃんは、最初は何も知識がありません。神経の刺激を脳が受け、外部からの情報にパターンを見つけ、意味付けを行い学習し、状況を判断し処理するための知能を獲得してゆきます。これを「認知的な閉じ」といいます。
コンピューターでもこの「認知的な閉じ」を実現できれば、強い人工知能ができると考えます。誰かの設定やプログラムを必要とせず、自ら認知することで、知能に関するすべてを取得できる機能です。
それは製造したばかりのコンピューターに、カメラやマイクなどや、ネットに接続するだけで、情報を自ら分析して処理方法を構築できるコンピューターです。
人間による前処理も、プログラミング等の不要です。でも正しい知識を身につけるには、教師が必要になるかもしれません。
つまり強い人工知能を作るには、人間の脳と同じものを作れれば、良いという考え方です。人類の叡智を超える人工知能は、人工的に脳を作れるかどうかという、そのまんまの話でもあります。
人間の脳を人工的に作れるのか。
レイ・カーツワイルの「シンギュラリティは近い」では、脳のスキャン技術が発展して、脳の仕組みがわかり、脳を人工的に作ることができるとしています。それができなければ、強い人工知能は作れない訳ですから、それについて考えてみるのが有効なのだと思います。
スキャンする技術が発展して、細胞や神経のひとつひとつまで動きを解明でき、脳の機能がわかっても、人工的な脳を構築できるのか疑問です。情報や仕組みがわかっても、それを構築できるかというのは、別問題だと考えています。
例えば、暗号がかかった通信を傍受して、暗号のすべての情報がわかっても、元の通信の情報を再現するのが難しいように、生成されたものをいくら解析してわかっても、それを構築できるかどうかは、別問題です。
例えば生物です。分子や原子それよりも細かい情報も分かり、生物のDNAも解読されています。また微生物も含めたら地球のいたるところに生命は存在しています。どこにでも生まれています。
でも未だに、生命をゼロから作ることは成功していません。フランケンシュタインの小説が1831年です。人工の生命が作れる気がしてから、200年近く立ちますが、まだ実現していない訳です。コンピューターの概念も同じように200年近く立ってはいますが。
一歩一歩の積み重ねで発展している部分も多そうで、指数関数的な増加をしていない分野も、人工知能を実現するには含まれているはずです。
そうと考えると「シンギュラリティは近い」のように、さらりと脳をスキャンできるようになり、さくっと人工知能ができるとは、思えません。
でも実現できないのか?というと、いつかはできると思います。例えば、ウィルスっぽいものや、細胞膜っぽいものは、ちょっとづつ作れそうになっています。コンピューターも弱い人工知能ですが、ディープラーニング等でめざましい進歩を遂げています。
コンピューターの処理性能の向上に合わせて、弱い人工知能の発展は飛躍的に進化しそうです。チューリングテストをクリアするような、人間にそっくりなふりをする弱い人工知能は、比較的に早い時期に登場するかもしれません。
もうちょっと補足を加えて同じように考えてみます。
人類を超える人工知能は登場するのか。しないのか。
非常に曖昧なテーマであり、いくらでも自由な解釈ができてしまうので、考える前に言葉の定義をしてみたいと思います。まず生物を一つの言葉で定義するならば「代謝をすること」です。自己複製できるとか、DNAがあるなど、いろいろな要素がありますが、一つだけで定義するなら「代謝をすること」がもっとも的確です。説明は省略します。詳しくはこちらの本がおすすめです。
次に知能も一つの言葉で定義したいと思います。かなり多くの定義が存在しますが「認知的な閉じ」が知能の特徴を最大に表していると感じます。
説明は省略しますが「認知的な閉じ」とは、例えば生物の脳は、感覚器を通して情報を受け取り、誰にも教わらずにその処理を創り出し、対応してゆきます。詳しくはこちらの本がおすすめです。
講談社 (2014-07-25)
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生物の知能とは「認知的な閉じを持つ代謝するもの」であると言えます。以上から人工の知能とは「認知的な閉じを持つ代謝をしないもの」であると定義します。
「認知的な閉じ」を持たないものは、ずばり現状のコンピューターです。プログラミングをした状況にしか対応できません。ディープラーニング(機会学習)といっても、プログラミングから逸脱したことには対応できません。
現在地球上に存在する人工知能は、すべて弱い人工知能です。「認知的な閉じ」を持たず、何か処理をするには、ディープラーニングといっても、相応の外部からの処理を定める指示を必要としています。
「認知的な閉じ」を持つ人工知能は、強い人工知能と言われています。人間のように自分で処理方法を考え見つけ出し対応することができるコンピューターです。
どうしたら強い人工知能が作れるのか。200年前の、チャールズ・バベッジ(1791年生まれ)の時代から、ずっと考えられています。現在まで誰も答えを見つけられていません。
人工知能がどうしたら作れるのか、アラン・チューリング(1912年生まれ)の考えと、レイ・カーツワイル(1948年生まれ)の考えも、ほとんど同じです。高度に発展した技術で人間の脳を真似ればきっとできると思う。という内容です。50年たっても同じです。
知能の露呈については、アラン・チューリングのタマネギの皮と核融合の考えが好きです。
アンドルー ホッジス
勁草書房
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人間の知能(脳)を細かく見て行けば、どれもコンピューターで実現可能な機能に見えます。そして実際に細かくした人間の知能は、コンピューターで実現できています。
人間の知能は、タマネギの皮と同じで、どこかに知能の中核となる実があると信じていますが、すべて調べ尽くしてもタマネギと同じように皮しかなく。それらが集まって実のように見えているだけ、という考えです。
もうひとつは、核融合と同じとする考え方です。一定のエネルギーを超えて初めて核融合がおきます。臨界です。物理的・化学的な変化を起こした物質が、ある状態から別の状態へと移っていく境目のことです。
人間の知能も、一定の臨界による知能の発露が起きていると考えることができます。ミジンコには知能といえる物がほとんどありませんが、人間には知能がある。そこ境目はどこなのか。
ある一定の機能や処理能力を超えると、原子炉が臨界を迎え核融合を起こすように、知能も生まれるのでは、という考えです。
つまり知能という機能は存在するが、確実な一つの実体や要素がある訳ではなく、様々な要素が集まり知能として機能するという考えです。
そう考えれば、この200年間で、強い人工知能を作る方法が、まったく見つからないのではなく、タマネギの皮のように、一つ一つの機能が解明され、知能の臨界にコンピューターの処理性能が近づきつつある、と見ることができます。
レイ・カーツワイルが言うように、このままコンピューターの性能の向上と、脳のスキャン技術が発達すれば、強い人工知能が登場するであろうと考えてみても良いと思いました。
ただ人工知能を完成するにあたって、指数関数的には増加していない必要な技術というのが、どこかネックになるのではないでしょうか。